僕のミューズ(短編小説)
あらすじ
美大に入学してまもなく、僕は全く絵を描けなくなってしまった。担任の教授から「君の絵はテーマも手法も古くさい」とクラスメートの面前でこき降ろされたからだ。ゲームセンターで遊びほうける毎日を送っていたある日、その人は現れた。女神のようなホームレスのような…。その人の正体は一体?
登場人物
緒方翔 :主人公。美大1年生。細身で長身のイケメン。
ナオ :謎の美少女。自称16才。小柄でスタイル抜群。
工藤大輔:翔の親友で同級生。美大1年生。中肉中背。
その他、コンビニの店員やナオの姉等。
美大に入学してまもなく、僕は全く絵を描けなくなってしまった。有名な画家で
ある担任の教授から「君の絵はテーマも手法も古くさい」とクラスメートの面前
でこき降ろされたからだ。同じく「粗大ゴミ製造機」と罵倒された工藤大輔とゲ
ームセンターで遊びほうける毎日を送っていたある日、僕らはナオと出会った。
× × × × ×
シューティングゲームをしている最中、「下手ね」とナオが声をかけてきた。
ゲーム歴たった二週間の僕。上手いわけがない。
なんなんだよ。むかっときて振り返ると、とびきりの美少女がいた。
日本人ばなれした西洋人形のような容姿。
天使か妖精か美の女神ミューズか。きゃしゃで足がとても長い。
黒いズボンにカラフルな半透明のワンピースを着ていた。
(スパッツとチュニックワンピースというものだと後で知った。)
その美しさに打ちのめされた僕はあっけにとられて何も言えない。
少しの会話の後、何をしゃべったのか全く覚えていないのだが
「晩ご飯おごって」と言われて近くのファミレスへ行くことになった。
工藤も一緒だ。でもナオは警戒心をあらわにした。
「エッチとかはイヤだからね」
「わかってるよ」と僕は言った。あたりまえじゃないか。そんなこと。
× × × × ×
ファミレスで席についた時、ふいに工藤がノートを取り出してナオを描き始めた。
あっという間にデフォルメされた少女マンガちっくな妖精ができた。
僕も工藤のノートを1枚もぎとって描いた。
自分でも驚いたのだが、自然に、ほんとに自然に手が動いてナオを描けた。
「わ~、びっくり。すごいわぁ。ふたりともなんでそんなにうまいのぉ」
16才だというわりに仕草も言葉使いも幼くあどけない気がした。
僕は絵を描けなくなったのだから美大はやめようと思っていた。
そして、生きて行く意欲さえなくしてしまっていた。
黄泉の国から引き戻された気分だ。
ナオと出会えたことに感謝。
工藤が言った。
「俺たち美大生なんだ。食い終わったら、美術モデルをやってくんない?」
「美術モデルゥ? いいけど。いくらくれるの?」
1時間で2万円。ナオがOKしたので僕のマンションで描くことになった。
× × × × ×
ナオは美術モデルがどういうものかを知らなかった。
「脱ぐのはイヤ。絶対にイヤ」
全裸姿を要求する工藤に、泣きながら抵抗し、僕の後ろに隠れた。
工藤が怒鳴る。
「裸でポーズとるだけだぞ。レイプされるとでも思ってんのか、おまえ」
「ごめんなさい、ごめんなさい。お金いらないから」
「バカにすんな。犯すぞー」
いつもの工藤じゃなかった。
ナオの腕をつかんで引きずりまわし、服をぬがそうとした。
「いやあ~っ」
「やめろよ、工藤」
ナオは工藤の腕に噛みついて必死に抵抗している。
「痛て~。緒方、やっちまおうぜ。手伝えよ」
その言葉を聞いて僕の中でなにかが切れてしまった。
今の彼に言葉は通じない。だから思わずぶん殴った。そして
「出て行け。ここは僕のマンションだ」と怒鳴っていた。
倒れた工藤は床に手をつき、とても信じられないといった目で僕を見た。
「緒方、俺たち親友だろ? な、俺たち…」
「もう…親友なんかじゃない」
工藤はゆっくりと立ち上がり、悲しそうな目で僕を見た。
そして何も言わずによろめきながら出て行った。
工藤とは不遇の時代を支え合い、慰め合ってきた。
でも終わってしまったのだ。かけがえのない友を僕は失くした。
しかし後悔はなかった。ぼくはこの人を守ることができたのだから。
着衣のままで1時間、僕はこれまでにない猛烈な早さでナオを描いた。
いくらでも描ける。いくらでも。
僕は自分の未来に無限の可能性を感じた。
× × × × ×
ナオは携帯電話を持っていなかったので僕の方から連絡はできなかった。
ナオと出会ったゲーセン近くのコンビニで店員から色んな話を聞いた。
ナオがスーパーの試食コーナーの食べ物をバカ食いして店員に追い払われているの
を見た人がいるとか、アパートの家賃を滞納して親が蒸発してしまったとか。
コンビニの店員は「あの子の家は今、電気もガスも止められてるのよ」と言った。
彼女は廃棄処分するはずの期限切れの弁当をナオにとっておいたこともあった。
しかし、店長にバレてしかられ、できなくなったという。
店長はナオに食中毒にでもなられて店の評判が落ちることを恐れたのだろう。
なんとかしなければ。でもナオは今どこにいるのだろう。
ふと外を見るとナオが誰かに追われているのか、後ろを振り返りながら走っていた。
サバンナの草食動物のようなすばやさ。
× × × × ×
僕はあわてて勘定をすませて車で追いかけた。
「ナオちゃん」
「翔さん。助けて」
「早く乗れよ」
助手席にナオを乗せて車のアクセルを思いっきり踏んだ。
バックミラーを見ると中年の男が走りながらなにか叫んでいた。
「あははは。アッカンベーだ」
「誰?なにがあったの?」
「べつに。大したことじゃないから」
ナオは愉快そうにまたあはははと笑った。
追いかけられるような何をしたのか。
僕は不安で胸が締め付けられた。
でもナオはこんなに楽しそうに笑っている。大したことじゃなかったんだ。
そう思い込もうと努力した。
そして 不安を振り払うように尋ねた。「飯は食ったの?」
「食べたけど、おごってくれるんならもう1回食べてもいいわよ」
プッと吹き出してしまった。
× × × × ×
回転すし店のカウンター席に座って20分が過ぎた。
僕は7皿しか食べなかったが、ナオの前には僕の倍以上の皿が積まれた。
「すごいね。ナオちゃんはやせの大食いなんだ」
「食べられる時に食べとかないと死んじゃうから」
ナオにとっては、それは真実なのだろう。
「さっきは何おごってもらったの?」
「ラーメン一杯」
「そう」
後のことは聞かなかった。他に聞きたいことがあったからだ。
「あのさ、両親が蒸発したって聞いたけど、ほんとうなの?」
「コンビニのお姉さんに聞いたのね。ほんとよ。1ヶ月前に姉ちゃんと
ナオを残して出て行っちゃったの」
「じゃあ、今はお姉さんと一緒に住んでいるわけだ」
「ううん。姉ちゃんは彼氏のアパートにいる」
「じゃあ、今からそこに行ってもいいかな」
「どうして?」
「ナオちゃんまだ16才だろ。1人で暮らすなんて無理なんじゃないの」
「そうだけど。姉ちゃんの彼氏はナオの面倒は見ないって言ったよ」
「お姉さんはどうなの? 働いてるの?」
「わかんないけど。働いてないと思う」
とにかくナオのお姉さんに会いに行こう。会って話をしなければ。
× × × × ×
姉さんと彼氏が住んでいるアパートに行った。
建物全体が壊れかけていて、ギシギシと足の下で畳がきしんだ。
ナオの姉は顔全体が紫色に腫れ上がっていた。
前夜、彼氏の浮気をなじって逆切れされ、ボコボコに殴られたのだという。
「警察に相談した方がいいんじゃないですか」と僕は言った。
「いやよ。私、彼に捨てられたら生きていけないもの」
絶句した。しかし、ちゃんと聞いておかなければならないことがあった。
「ナオちゃんはどうするつもりなんですか」
「しらないわよ。私は自分が生きて行くだけで精一杯なんだから」
「じゃあ、僕が役所の人と相談して身の振り方を決めてもいいんですね」
「好きにして。それより早く帰ってよ。そろそろ彼が戻ってくる時間だから」
状況がはっきりしてきた。僕がなんとかしなければならないのだ。
僕らが部屋を出て行こうとドアに向かった時、ナオの姉さんは言った。
「ナオ」
「なに」
「いい男つかまえたね」
は?僕のこと?
ナオは姉の方に顔を向けて笑顔でうなずいた。
× × × × ×
「ご両親が見つかるまで僕のマンションで暮らすかい?」
車を運転しながら僕は尋ねた。
「いいの?」
「うん」
「ヤッター。バンザ~イ」
ナオは両手でV字を作って助手席に座ったままぴょんぴょん跳ねた。
僕も嬉しかったが、同時に不安にもなった。
なぜなら僕はまだ18才の学生で親の仕送りで生活している身だからだ。
僕の両親はなんと言うだろう。
仕送りを止められたらどうやって生活していけばいいのだろう。
ナオが荷物をとってくると言ったのでナオのアパートの前で車を降りた時。
僕は3人の男に取り囲まれた。
「なんなんですか、あなたがたは」
「警察だ。未成年者誘拐の現行犯で逮捕する」
「そんな。ちょっと待って下さい。僕とナオはそんな関係じゃ…」
いい終わらないうちに見覚えのある中年男がやってきて言った。
「こいつです。車も同じだ」
「あなたはいったい誰なんですか」
半分禿げかかった頭をなぜながら男は言った。
「民生委員の中村だ。アパートの大家に頼まれてその子を養護施設へ入れようと
してたんだよ」
× × × × ×
取調室での尋問は過酷だった。
僕はまるで変質者のように扱われた。
アダルトビデオは何本持っているのか、風俗店にはどのくらいの頻度で行くのか。
ひどい質問だ。アダルトビデオは持っていないし、風俗店へも行ったことはない。
「家宅捜索すればすぐにわかることだぞ」
「あの子をレイプしたのか、何回したのか」
いたたまれずに僕は家に電話をかけさせてもらった。
病院の院長をしている父さんが弁護士をつれて飛んで来てくれて30分後。
僕は自由の身になっていた。
やはりプロの弁護士というのはスゴい。
× × × × ×
ナオは結局、養護施設へ送られた。僕らは離ればなれになってしまったのだ。
もう一度会いたい。僕の頭の中は彼女のことでいっぱいだった。
結婚できなくてもいい。一緒に暮らせなくてもいい。
金を送るだけの関係でもかまわない。
ナオの役に立てるのなら僕の今の生活、そして未来のすべてを捨ててもいい。
でも、彼女は今どこに住んでいるのかもわからないのだ。
再び僕は生きる意欲を失ってしまった。
マンションに閉じこもる日々が続いたある夜、けたたましくチャイムがなった。
扉を開けると、外は大雨で、びしょぬれになったナオが立っていた。
「ナオちゃん。どうしてここに」
ナオは僕の顔を見るなりワッと泣き出し、胸にすがりついてきた。
「あんな所絶対にイヤ。二度と戻りたくないっ」
感動した僕は両手でナオを抱きしめようとした。
しかし、ナオの背中にある「物」が手に当たって抱きしめることはできなかった。
玄関灯に照らされて見えた見慣れぬその「物」は天使の羽などではなかった。
古ぼけた赤いランドセルだったのだ。
「ランドセル?」
「いやだから。あんなところいやなんだから」
「わかった。わかった。それより背中のそれ降ろそうよ」
ランドセルの持ち主の名前はラミレス・マリアとなっていて、マリアに訂正線が。
訂正線の下には尚樹と黒字で大きく書かれていた。
「ラミレス・尚樹って誰?」
ナオは自分の鼻に人差し指を向けた。
「えっ。ナオちゃん、男の子なの?」
泣きべそをかいたままナオがうなずく。
「おまけに小学生かよっ!」
「だますつもりはなかったの。ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるナオ。
「何年生?」
「5年生」
なんてこった。5年生といえば、まだたったの10才じゃないか。
僕は頭がクラクラしてその場にへたり込んだ。
「翔さん、しっかりして。こんなところで寝ちゃだめだよ」
× × × × ×
ナオとの結婚をどうやって親に認めさせたらいいのかという心配はなくなった。
父さんが雇った弁護士に間に入ってもらって、役所や民生委員の中村さんともなん
とか話がついた。
そして僕は晴れてナオと暮せることになったのだ。
そういうわけで、僕は、結婚どころか一度もエッチすることなく、いきなり小学
5年男児の里親になってしまったのだ。
ナオはべたべた甘えて抱きついてくるので時々抱きしめて頬ずりしてやる。
それ位のスキンシップしかできないが、僕らは本当の家族以上に愛し合っている
(と思う)。
なによりも僕は毎日、絵を描ける幸せを満喫させてもらっている。
最高の芸術の女神ミューズが降臨したのだから。
(おわり)